①スペインの誕生とコロンブスの支援

スペインは、4世紀後半からイスラム勢力の統治下だったのが12世紀の十字軍遠征から少しずつキリスト教勢力が奪還。
1479年、イベリア半島の大国同士(カスティーリャとアラゴン)が連合を組んだ王国が誕生し、この共同統治者である夫婦がフアナを生む。
1492年フアナが13歳のとき、グラナダが陥落し、イベリア半島半島のイスラム勢力を追放する国土回復運動(レコンキスタ)が完了し、現在のスペインが誕生。
これによってフアナの母であるイザベル1世は財政に余裕ができ、コロンブスの西回りの航海の支援を決定する。このとき、コロンブスはポルトガルとスペインの支援を取り付けるのを諦めて、フランスに旅立った直後であり、スペインの船が追い付いて、コロンブスを説得するというドラマがあった。

②美男の王との結婚と別れによる精神不安

1496年フアナは、ネーデルラントの王・フェリペ1世と結婚する。
この結婚は、フアナの父の政略結婚で、父フェルナントはスペインの他にイタリアのナポリを統治していて、フェリペ1世の父は皇帝・マクシミリアン1世であったため、ナポリの権益を守ってくれることを期待しての考えだった。
このとき、スペインと結婚したのは、皇帝・マクシミリアン1世の息子であるフェリペ1世と娘であるマグリットであり、正直皇帝は2人しかいない子供を両方ともスペインに嫁がせて良いものか迷ったらしい。
しかし、皇帝の敵であるフランスが狙っているナポリを統治しているスペイン王と手を結ぶことはフランスの牽制につながると考えて決断する。
一方、結婚する側の人間であるフアナは、思いがけない喜びだった。
結婚相手のフェリペ1世は端麗公ともいわれる程、美男だったからだ。
フェリペ1世も周りで見ない感じのフアナに好感を持つ。
こうして、政略結婚であったが情熱的な恋愛が始まる。
。。。が、それは束の間で、美男である夫を持ったフアナは不安でいっぱいになってしまった。
もともと脅迫的で真面目過ぎる側面のあるフアナでもあり、夫が浮気をしないか猜疑心を持つようになってしまったのだ。
夫はナルシストな性格であったことも拍車を掛けたのだろう。
こうして2人の関係はすっかり冷めてしまった。
1504年スペインの女王イサベル1世、つまりフアナの母が亡くなる。
これによって、スペイン王の相続に関して夫婦はもめる。
血筋から言って継承者はフアナなのだが、夫フェリペ1世はどうしてもスペイン王になりたくて、結婚当初のような情熱的な愛情を注いで、妻であるフアナを説得しようとする。
しかし、頑なに拒否。
以前、スペインの空気が合わないといって、臨月のフアナを置いて、ネーデルラントへ帰ったりした夫フェリペ1世の対応など、夫の行為など見え透いていたのだろう。
更に、遺言状にもフアナの名があり、フアナが王になることは揺るがなかった。
1506年、そんな夫・フェリペ1世がぺロタというスポーツの後に飲んだ水が原因で亡くなってしまう。
以前から猜疑心でいっぱいで精神的に不安定だったフアナだったが、夫の死は相当ショックで精神の崩壊が本格的に始まる。
そんな瞬間を描いたのがイラストの絵である。
なんと、数年にかけてフアナは夫フェリペ1世を埋葬することを許さず、夫の亡骸をつれて彷徨ったという。
内向的だが信仰心が強く真面目だったフアナにって、彼女の世界は夫婦生活が多くを占めており、夫の浮気、夫の死別は彼女の精神にとって大きなダメージだったのだろう。

③フアナの子供たちの活躍

精神的には不安定だったフアナ。
夫には精神的に不安定なため、スペインの政治はとれないなどと言われた。
そして、父もスペインの王をフアナが継ぐも、精神的に不安定なため幽閉してしまった。
こんな風に政治の舞台には冷遇されたフアナ。
しかし、彼女は沢山の子供をもうけた。
そのお陰で、夫フェリペ1世の父親である皇帝マクシミリアン1世はスペインとハンガリーとつながりを持つことができて、大変助かったのである。
有名なのは、長男のカール5世と次男のフェルディナンド1世である。
フアナは精神的に不安定であったため、子育てが不可能だろうと評価されて、子供は別の人が育てた。長男であるカール5世は夫の妹であるマグリットの元、ネーデルラントで育てられた。また次男であるフェルディナンド1世はフアナの父フェルディナンド2世によって育てられた。
1516年、フアナの父フェルディナンド2世が亡くなると長男カール5世は精神不安定で幽閉されている女王フアナの共同統治者としてスペインに戻ってきて、政治を摂る。更に、1519年には、フアナの夫の父親であるマクシミリアン2世がなくなり、長男のカール5世は神聖ローマ皇帝にもなっている。
彼は1517年を発端とするルターの宗教改革騒動、フランスとの対抗のためのイタリア戦争、そしてコロンブスの航海が身を結び南アメリカ大陸など広範囲な植民・貿易体制の確立など、大変有能な働きをした。
1555年、母フアナが亡くなったときは、今までの働きで満身創痍になった体と母を亡くしたショックで皇帝職を弟(フアナの次男)であるフェルディナントに譲り、スペインで晩期のわずかな人生を過ごした。
その後、カール5世の弟のフェルディナントは神聖ローマ皇帝として政治を摂り続け、スペインではカール5世が築いたスペイン帝国を引き継いでスペインの黄金時代を築いたフェリペ2世が登場するのである。
こうして、フアナが残した子供がその次の時代の流れを作っていたのだった。

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